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足字銭?

栃木県日光市足尾に、この様な物が?(^_^)v
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さて、何でしょう~?


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後ろの看板の説明ですと
この場所は、鋳銭座跡らしいです\(◎o◎)/!

足尾で鋳造された寛永通宝1文銭は「足尾銭」と称されるが、背面に「足」の字が印されていることから、通称「足字銭」とも呼ばれている。その足字銭が鋳造された由来については、江戸幕府の直山であった足尾銅山は、元禄15年(1702)から正徳4年(1714)までの年間平均産銅量1600tを最盛期にして、その後次第に衰退し900t台になったため、銅山師(やまし)達44名は死活問題として山元の困窮を救うため、寛保元年(1741)2月に幕府に対して足尾銅山で寛永通宝を鋳造することを願い出た。いわゆる「お救いの鋳銭座」であった。こうして「足字銭」は寛保2年(1742)7月から延享4年(1747)までの6年間に荒銅約16万7千貫目をもって約22万2千6百文が鋳造された。その鋳銭枚数は2億1千万枚余であった。なお、鋳銭座の場所は、文化3年(1806)年に幕府道中奉行によって描かれた街道実測絵図「五街道分間絵図」に記されているが、その場所は現在の中央グランド周辺である。
かつてお銭(かね)の事を「おあし」(お足)と言っていたが、足字銭が語源ともいわれている。

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貨幣カタログで、母銭1枚で70.000円~40.000円の評価です!

なるほど、なるほど(^^♪

ついでに(#^.^#) 足尾銅山についての豆知識

栃木県日光市足尾 足尾銅山 (高温熱水鉱脈鉱床)

足尾銅山は、1610年(慶長15年)に発見されて以来、江戸時代から昭和48年までの400年近く続いた歴史のある銅山です。
足尾で採掘された銅は、むかし東照宮や江戸城などの建造のさいに使われたれり、オランダや中国などへも輸出されました。
銅山はその後一時衰退しますが、明治10年に入り「古河市兵衛」の経営となってからは、生産技術が次々と近代化され、産銅量が 急速に伸びて発展の一途をたどり、大正初期には人口が県内で宇都宮に次いで第2位となり「鉱山都市」と呼ばれやがては名実ともに 日本一の銅山として大いに栄えました。。
しかし、時は流れ銅の生産も次第に減少し、昭和48年に「名山足尾」の輝かしい歴史を秘めたまま閉山となりました。
今でも町のあちこちで、むかしの銅山の繁栄ぶりを忍ぶ歴史を多く見ることができます。


足尾銅山は、西側に小滝・南側に通洞・北側に本山と3ヶ所から開発され、坑道の総延長は1200Kmになる。


産出鉱物は、主に黄銅鉱・黄鉄鉱など

那須きり絵・アートショップHP http://nasukirieart.com/


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